ブース記念病院100周年記念サイト

3.救世軍病院の発展と挑戦

救世軍病院の消失と再建
1922年3月完成

第二代目の病院

1923年9月

関東大震災による消失

1929年11月

三筋町病院の建設

三筋町病院の外観

第三代目の病院

3階建てに改築。病床数30余に。総工費8万5千円

1929年完成(改築後)



二代目の救世軍病院

1922年3月完成 翌年関東大震災で焼失

1941年(S16年)当時の三筋町病院

1941年(S16年)救世団病院報告によれば床・・

敷地

652坪 【2,151㎡】

建坪

968坪

診療科目

内科、外科、小児科、産婦人科、耳鼻咽喉科、皮膚科、眼科、歯科、放射線科

病床

106床(有料床 85床 施療床 21)


職員数

院長、副院長、各科部長【8名】、各科医員【19名】
薬剤師【2名】 看護婦及び生徒【72名】
その他の職員【28名】
合計:131名

外来患者

延べ30,672名 【うち新患 6,358名】(月2,556)

入院患者

延べ9,901名 【うち新入院 804名】

外来診療と患者待遇法

本院は、・・医療の普及と共に病める人々へ精神的慰安をも与えんことを目的とするものでありますから、午前午後夜間に渡って一般どなたでも制限無く、診療いたしております・・。

特色

往診及び助産の出張
往診、助産の出張等の希望に対しては受付へいつでもお申し込みになれば、事情の許す限り、求めに応じ・・・。

救世軍病院正面

1935年(昭和10年)改築の建物。70床

病院側面

病院廊下

小児科診察室

外来待合室

歯科診療室

耳鼻咽喉科診療室

手術室

嬰児沐浴室

敷地

652坪 【2,151㎡】

建坪

968坪

診療科目

内科、外科、小児科、産婦人科、耳鼻咽喉科
皮膚科、眼科、歯科、放射線科

1941年【昭和16年】の事業実績

外来

123,147 (新患 20,825 / 月1,735)
内科 外科 小児科

入院

29,725 (一日平均 81.4) / 106床

病類

皮膚疾患(13.9%), 眼疾・耳疾(21.5%)
呼吸器疾患(17.8%)

西新井病院の開設

1929年(昭和4年)12月
歳末診療(西新井地区)

大正12年9月の関東大震災では災を免れたが、東京の細民窟と呼ばれていた東京市荒川区日暮里町は復興計画に伴い、同町は工業地帯に変貌していった。
同町の住民は足立区西新井方面に移住するものが多く、西新井は急激なる人口増加に伴い、衛生施設の不備もあり、医療的な援助が急務となった。
昭和4年以来、西新井において歳末診療を続けていたが、同時に常備の救療施設の必要が迫られる。

1934年(昭和9年)4月

足立区本町1丁目771番地に救世軍西新井診療所が開設

1940年12月19日 西新井病院開設

20床。将来は200床。内科、外科、小児科、皮膚科、産婦人科、眼科、レントゲン、及び手術室

1933年(昭和8年)

34人のスタッフが、1807人の診療を行なっている。

西新井病院の開設

土地

654坪(2178㎡)

建物

478坪(1577㎡)

病床

20床

1929年

歳末無料診療開始

1934年

西新井診療所開設

1940年

西新井病院開設

1941年度の活動

外来患者数

28460人 (月2371人)

入院患者数

3605人 (月300人)

西新井診療所


西新井病院

ハンセン病未感染児童のための働き

「未感染児童」に対しては、宣教師たちによる養護活動のほか、財団法人癩予防協会や救世軍による取り組みがなされてきた。草津の湯之沢部落では、1924(大正13)年にイギリスの宣教師コンウォール・リー氏が患者の親と同居する健康児童保育のためにマーガレット館を開設した。その後、聖マーガレット館と改称するとともに、男女分離保育の考えに基づき男児のための聖テモテ館が設置された。1928(昭和3)年には、学齢期の子どもたち20 人は、「なんの差別もなく」草津町立小学校に通っていた。1933(昭和8)年には、栗生楽泉園(くりう らくせいえん)内に「栗生保育所」が作られ、敷地内に「草津小学校栗生分校」が設置された。保育所の経営は基本的に救世軍に委任され、1941(昭和16)年には、保育児童の授産施設として「つつじ丘工芸学園」が開設された。


長島愛生園(岡山)では、1931(昭和6)年8 月に国立療養所で初めての保育所「藤蔭寮」が開設され、9名の子どもが収容された。大島青松園では、ハンセン病に感染していない子どもの処遇に窮し、やむなく所内に同時収容していたが、1932(昭和7)年5 月に子どもの委託保育所を設立し、1933(昭和8)年4 月には、救世軍に経営を委任した児童保育所「二葉寮」を設立した。その他の園でも保育所が付設されていった。1935(昭和10)年に北部保養園、菊池恵楓園、宮古南静園、1936(昭和11)年に星塚敬愛園、1939(昭和14)年に沖縄愛楽園、1941(昭和16)年に東北新生園、そして戦後の1948(昭和23)年に奄美和光園に癩予防協会の事業として保育所が設置された。1955(昭和30)年には、駿河療養所にも保育所が設置された。


新潟診療所開設 1927年(昭和2年)無料診療開始。1929年(昭和4年)1戸を借りて診療。 

救世軍ミッションステートメント

万国的ムーブメントである救世軍は、公同のキリスト教会における福音主義を代表する一派である。

そのメッセージは、聖書の基盤に立ち、その働き(ミニストリー)は、神の愛に動機づけられ、
その使命は、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、主イエス・キリストのみ名において、分けへだてなくすべての人々のニーズに応えることである。

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