ブース記念病院100周年記念サイト

5救世軍杉並療養所の開設

救世軍創立者ウイリアム・ブースの召天記念事業として開設。

初代所長 松田三彌医師


「人がその友のために命を捨てる、これより大きな愛はない。」

救世軍療養所の特色は、言うまでも無くその依って立つ所の宗教的信念にある。

(山室軍平)

1916年(大正5年)

救世軍杉並診療所開設 病床数:50床

1928年(昭和3年)

保養者コロニーの設備機構の整備

「救世軍療養所一斑」(1934年【昭和9年】発行)によれば・・・当時

8病棟 205床

敷地 10,044坪

建坪 1,646坪

建物の構造

本館・・昭憲皇太后(明治天皇后)の御大葬の際の、外国からの賓客のための建物を拝領し本館とした。・・・所長室、医局、薬局、看護婦長室、事務室等に使用。

大廊下・・大廊下を中心に左右に病室。当初は6尺幅(180cm)を予定していたが、病棟への食事運搬車、非常の際の対応等を考慮し、9尺幅(270cm)に変更。

当時、建物の周りには何も無かった。

1926年(大正15年)10月
救世軍第二代大将ブラムウエル・ブース来訪

救世軍杉並療養所全景
【1934年頃】

救世軍療養所標語

1.現代の医学を尊重す。

1.所長は救霊者。

1.職員は人の下僕。

1.病気も生活の一頁。

正門

本館入口

恩賜病棟

外気に当たって療養

当時は珍しい患者運搬車

患者・職員のための礼拝

外気小屋

広い大廊下
幅9尺(2.7m)・長さ60間(108m)

【保養者コロニー】農作業

【保養者コロニー】洗濯作業

【保養者コロニー】鶏の飼育

【保養者コロニー】ヤギの飼育

【保養者コロニー】花壇の手入れ

【保養者コロニー】農園作業

救世軍療養所開院式順序書
大正五年十一月二十三日挙行
- 軍  歌(第一) 会衆一同
- 祈  祷 慈善救済部 矢吹少佐
- 軍  歌 (第二) 会衆一同
- 聖書朗読 救世軍病院長 松田医学士
- 開院の辞 日本司令官 デ・グルート大佐
- 創立の始末 書記長官 山室大佐補
- 演  説 貴族院議員 石黒忠悳男爵
- 祝  辞 東京府知事法学博士 井上友一氏
- 演  説 衆議院議長 島田三郎氏
- 記念会堂設立の趣意 山室大佐補
- 唱歌合唱 参謀唱歌隊
- 祝  辞(代読) 内務大臣 後藤新平男爵
- 祝  辞(代読) 内閣総理大臣 寺内正毅伯爵
- 演  説 澁澤栄一男爵
- 演  説 大隈重信侯爵
- 演  説
- 謝  辞
- 祈  祷 デ ・グルート大佐
- 
- 君 が 代 会衆一同
- 閉  会
杉並療養所の支援者たち

「救世軍療養所設立の賛助を仰ぐ状」
1913年(大正2年)澁澤栄一、大隈重信、森村市左衛門(森村財閥)、江原素六(白十字会、麻布学園)、島田三郎(ジャーナリスト、衆議院議長)らが連名にて募金。

「救世軍療養所婦人後援会」
1914年(大正3年)が組織。趣意書に徳富静子(徳富蘇峰の妻)、野口幽香(二葉幼稚園創始者)、津田梅子、鳩山春子(共立女子設立。鳩山一郎の母)ら27名が賛同・署名。山室機恵子らと活動。

1917年9月津田梅子の発議による山室機恵子記念会堂設立



支援者 社団法人 雨潤会
(陸奥広吉伯爵)
恩賜財団 慶福会
(清浦奎吾伯爵)

陸奥廣吉伯爵の支援

サクラ、つつじ等、沢山の苗木が寄贈され、敷地内に豊かに成長した。



「鎌倉同人会会報」より

植樹の多くは雨潤会の寄贈による

1931年(昭和6年) 松田三弥所長のあとを継いで、岩佐倫所長(少佐)就任。


〝人その友のために巳の生命を棄つるこれより大いなる愛はなし〟(墓碑の言葉)

人がその友のために命を捨てる、これより大きな愛はない。

 (ヨハネによる福音書/ 15章 13節)

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