ブース記念病院100周年記念サイト

5救世軍清瀬療養園の開設(1939年(昭和14年)3月1日)

開設の理由

  • 救世軍(杉並)療養所の収容能力を超えた患者。
  • 中産階級以下の結核患者のため。
  • 杉並療養所の事業延長。
    ・・・分園の必要性。

土地探しから始めて・・・

まず、地所を房総半島に、あるいは神奈川県下(湘南地方)にと、約二年間、候補地を見つけましたが、・・・・
最後に、東京府下、清瀬村に第13箇所目に、最高適地として与えられたのです。
(岩佐倫著書より)

昭和13年(1938年)7月8日 上棟式

救世軍清瀬療養園開所式
1939年3月1日
祝辞(代読) 松平宮内大臣
渡瀬厚生大臣
岡田東京府知事
祝辞 岡東京府立清瀬病院長
雨潤会代表 高木喜寛男爵
吉岡弥生至誠会病院長

敷地面積 51.000㎡ 建物 3,744㎡ 総工費 14万5千円
病床数 130床(後に200床まで増床)

救世軍清瀬療養園開園式 1939.3.1

すべての病気は、体だけでなく、精神を休ませねばならぬ。その意味で、当園は、是非必要であり、人民のためであるから、なお一層努力してほしい。(高木男爵の祝辞)

結核はただ肉体を癒すだけでは足りない。救世軍は、肉体と精神の両方を救わんとしている。・・・・結核患者を世話するには、神の使命と確信しなければ堪えられないことがある。救世軍はそれをなしつつある。(吉岡弥生女史の祝辞)

雨潤会(陸奥広吉伯爵)による支援
「鎌倉同人会会報」より

1939年 「救世軍清瀬療養園」 正門

外気小屋

1938年12月皇太子誕生に当たり皇室より御下賜金
それを元に病棟を建設(1939年12月完成)

 1939年 「救世軍清瀬療養園 恩賜病棟」

武蔵野の面影を残す・・・

1942年 「清心療養園」と名称変更

昭和17年(1942年)頃の建物配置図

本館が、現療養病棟講堂が、現第5病棟

(航空写真とは南北が逆)

昭和24年(1949年)当時の、清瀬一体の病院群

昭和24年(1949年)頃の病院全景

大廊下

本館

講堂

1968年(昭和43年)4月18日

清心療養園新病棟開所式
クーツ大将司式
秩父宮妃殿下臨席
(旧1,2病棟)

1978年(昭和53年)6月17日

老人内科病棟落成

取り壊し直前の本館・管理棟

1960年頃の本館入口

取り壊し直前の本館内部と会堂

1989年 「救世軍清瀬病院 ホスピス病棟」開所

救世軍清瀬病院 ホスピス病棟

津島厚生大臣来訪 1990年

2016年1月 新療養病棟開設

設計士による病棟模型